長谷川道場は1970年に範士
長谷川一幸が、「全日本空手道選手権大会」で王者になり、空手界において地位と名声を不動のものとした大会の翌月に地元徳島に帰郷、自分の強さを維持したいと道場を開設し今日に至ります。
当時は直接打撃制を世界で初めて取り入れた極真空手を批判する流派が多く、極真空手の強さを証明するために「道場破り歓迎」の文字を看板に掲げ、他の道場にも出向き、体を張って極真会館の看板を守り続けてきた数少ない最古参の師範が指導する道場です。
徳島支部の開設から8年後の1978年に愛知県支部長に就任、現在は愛知・徳島に支部を持ち指導者として数多くの全日本王者を育て上げ、名伯楽として広く知られている。支部を増やし道場に来ない指導者が増えている今日の空手界でも必ず毎日どこかの道場に指導に入り後世の育成に力を入れている。